3.11からもうすぐ7年①

はじめに

2011年3月11日に起きた東日本大震災からもうすぐ7年が経ちます。
私自身は都内で帰宅難民となり、この日は忘れることのできない1日となりました。

多くの方が東日本大震災を経験しましたし、2016年には熊本でも大きな地震があり、
激甚災害にも指定されました。
今後、首都直下型地震や南海トラフ地震が起こるであろうと予測もされています。
都の条例では今後の地震に備え、災害発生
後はむやみに移動せず、
安全な場所にとどまるように促しております。

この経験により、今後の地震に備えることができれば・・・と思い書いています。
当時のことを思い出したくない方は、記事を読むのをご遠慮ください。

3.11‐帰宅困難

仕事中に突然強い揺れを感じ、慌てて机の下に隠れました。
今までに経験したことのない大きな揺れが長く続き、”怖い”と感じました。
(私の職場付近は、震度5強の揺れだったそうです。)

外に避難をして、持っていたウォークマンでラジオを聴いてみると、東北で震度7と聞こえてきました。これからどうなるのだろう??と不安でいっぱいでした。

電話もつながらず、東京の交通網は麻痺してしまいました。

当時勤めていた会社では、災害時に職場~自宅まで歩くと何分かかるかを計算していました。
自分のを見せてもらったところ4時間ほどかかるとの試算でした。
4時間頑張って歩けば家に帰れる!という思いもありましたが、職場から自宅まで歩いて帰ったことなど
一度もありません。あの日は風が強く寒い日でした。携帯の充電も残り僅かでしたので、無謀なことは止め、帰宅難民として会社に泊まることを決断しました。
この判断は、間違っていなかったと思いますし、周りに顔見知りの人がいるだけでホットしました。

職場では、同じく泊まることとなった皆で20時ごろまで仕事をしていました。
ビル内は、何か所か亀裂のようなものが入っていました。
仕事をしている最中も、余震が続き、その度に手が止まってしまいした。

いつまた大きな揺れが起きて、外に避難しないといけないのか分からない状態です。
トイレも1人ではなく、誰かと一緒に行くようにしました。
私の場合は、年次の近い先輩が行動を共にしてくれました。

職場は都心で、スーパー等はほとんどない地域です。
職場の方が直ぐに食料を調達しに行ってくれたため、ありがたいことにご飯には困りませんでした。
携帯の充電が切れてしまったので、充電器を買いにコンビニへ出てみたのですが、品切れ。
商品棚はガラガラでした。

TVを見ると、「岩手、宮城で津波による死者が~人、行方不明者が~人」と膨大な人数のテロップと共に津波の映像が映し出されていました。あまりの被害に状況が呑み込めず、これは夢の中なのかな?とも考えました。

毛布等はなく、イスの背もたれが互い違いになるようにし、簡易ベッドとして寝ることにしました。
ビルの6階にいたのですが、横揺れの余震が続き、少し酔いました。
結局眠る事も出来ず、朝を迎えましたが、体を横にすることが出来ただけでも良かったです。

朝のニュースで、電車が7時に運転を再開すると聞き、それに合わせて会社を出ました。
時間になっても、中々電車が来ません。1時間ほど待ってようやく電車が到着。
揺れている間、電車はストップ。揺れが収まると、発車の繰り返しでした。
通常の倍以上の時間がかかってしまいまいしたが、なんとか帰宅しました。

少し長くなってしまったので、次に続きます。